いやはや

 30日、国会ではヨルリン・ウリ党の林鍾仁(イム・ジョンイン)議員の主催で、「04国防白書を正す」と題した討論会が開かれた。

 この席で姜禎求(カン・ジョング)平和統一研究所長は「今年発行された国防白書は、韓国のものか、米国のものか分からない」とし「北朝鮮ジュネーブ合意違反率は10%未満だが、米国のそれは75%だ。しかし(白書は)おこがましくも北朝鮮が違反したと記している」と述べた。

 姜所長はまた、「韓国戦争以降、11回の戦争危機のうち、9回は米国が主導し、南北間によるものは1、2次西海(ソヘ)交戦の1回ずつ」とし、「安保脅威の主犯は北朝鮮ではなく米国」と述べた。 姜所長は北朝鮮の故金日成(キム・イルソン)主席の生家を訪問し、「万景台精神…」と記したことがある。

 東国(トングク)大学のイ・チョルギ教授も「白書は政府の政策方向に反しており、反政府文書ではないかと思われる」とし、「北朝鮮の軍事費はミャンマーよりも少なく、北朝鮮の侵略脅威は誇張」と述べた。林議員は「北朝鮮の侵略論、米軍駐屯論は虚構」と述べた。

 これに対し、国防研究院のイ・グンス博士は「すべての脅威が米国から誘発され、西海交戦が韓国の責任だという認識には懸念を抱かざるを得ない」とし、他の軍事専門家も「ジュネーブ合意は北朝鮮が密かに核開発を行なって破棄された」とし「北朝鮮は奇襲能力を持っており、韓国の最戦前は大きな打撃を被るだろう」と述べた。

気づけば日本は「メガアライ(特上同盟国)」

日経ビジネス Express ダイジェスト」より

━■谷口智彦の「地球鳥瞰」━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  気づけば日本は「メガアライ(特上同盟国)」
  (5月20日発行のExpress Mailより)
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 日本を「並の」同盟国から格上げし、「特上の」同盟国として扱う動きが、最近ワシントンに現れている。

 主として国防総省筋に目立つ傾向で、英語ではmega ally(メガ・アライ)という。「mega」は、メガトン級とか、メガ・コンペティションというときの「メガ」だ(日経ビジネス5月23日号「時流超流」に関連記事)。

▼出来たてホヤホヤの新概念

 同盟国を指すallyという単語は、普通、前の「ア」に強勢を置く。辞書によれば後ろの二重母音「アイ」を強く言うのも可とあり、この珍しい発音で目立つのがコンドリーザ・ライス国務長官である、まったくの余談ながら。

 ニュース・データベース「Factiva」と、検索サイト「Google」で探してみたところ、「メガアライ」は、その用例が1つとして出てこない。まだほとんど活字になっていない新概念であることがうかがえる。

 メガアライとして米国が重視する国々は、たったの3国。英国、オーストラリア、そして日本である。

 英国と豪州は一応おいて、日本は一体何をしたから、米国「王将」に対する「飛車・角」みたいな地位を得たのか。思いつく限りで時系列を追ってみよう。

▼「英国・豪州並み」にさせたのは

1:2001年「9.11」から3カ月経たないうちに海上自衛隊補給艦隊をインド洋へ派遣、1年後、これにイージス艦を加わらせた。以来今日まで、米国をはじめ各国海軍艦船に燃料と水の洋上補給オペレーションを続けている。

 イージス艦の派遣には、情報を日米間で共有する重要な意味があったと思われる。

 また艦船行動のうち難易度が極めて高い洋上補給を常時して見せることで、海自は中国やインドという新興勢力に日々能力を誇示している。さらにパキスタン海軍などは、日本の供給する燃料を当てにして、作戦へ参加することが可能になった。 海自はその意味で、同盟に「乗数効果」をもたらす存在である。

2:2002年8月以降、米フロリダ州タンパの米中央軍司令部に陸海空各自衛隊から、昔で言えば大佐か中佐クラスの連絡官を常時派遣。「有志連合」の正員として認知させるとともに、日米制服間の情報共有度を高めた。

3:この間2002年4月には、西太平洋潜水艦救難訓練を実施。日本が主催する初の多国間共同軍事訓練となった。

4:2003年4月以降、航空自衛隊は空中給油訓練を米軍の指導下に実施。日本を離れた遠隔地まで航続距離を伸ばす能力を身につけつつある。

ミサイル防衛に対する高評価

5:2003年12月、ミサイル防衛システムの導入を閣議決定イージス艦を使う方式として、米国以外で実施する唯一の国となった。レーダー能力の拡張とあいまって、米国戦略軍(USSTRATCOM)首脳が「全体システムにおける不可欠の一翼」と評するものとなっている(米ネブラスカ州にあるUSSTRATCOMは、ミサイル防衛や宇宙軍を束ねる中枢組織)。

6:このとき、防衛力を外交力とほぼ同列に扱う戦後初の決定がなされている(上掲日経ビジネス記事参照)。

7:また同年同月、「人道復興支援」を目的として、イラク自衛隊を派遣、今日に至る。オランダをはじめ諸国派遣軍が退く中、非戦闘要員とはいえ、自衛隊は古参となった。

8:2004年、北海道から九州・沖縄方面へ、とりわけ「島嶼(とうしょ)」防衛へ、戦略の重点を大きく移し変えた。

9:憲法改正議論の中で、米国との「集団的自衛権」を認めることは、次第にほぼ確実となっている。

▼3年強で30年分の変貌

 と、このように列挙してみると、ここわずか3年強で、日本が大きく舵を切ったことは明らかだ。上記「5」で触れた米戦略軍首脳はこの点に触れ、「日本の自衛隊が近々数年で遂げた変化は、それ以前20〜30年の状態に比べ真に驚くべきものだ」と筆者に述べた。これは国防総省でアジアを担当する別の人からも同様に聞いた評価で、米軍関係者の少なくない人々に共有されつつある認識だと考えられる。

 こうした推移を経て、今や日本はほかならぬ軍事面において、英国、豪州と肩を並べる「特上」扱いになった。

 連休中訪米した町村信孝外相は、ライス国務長官の提案に同意、今後日米豪外相間で戦略協議を定例化する運びとなった。これも、以上の文脈から意味合いを推し量ることができるだろう。

▼絶好の機会を逸した中国

 中国はかねてから、北京大学国際関係学院院長・王緝思(ワンジーズー・おうしゅうし)氏の表現を借りると、「日本はアジアのフランスか、ドイツになればいいと思っていた」(先頃米ブルッキングズ研究所での発言)。欧州でフランスやドイツがそうであるように、日本もアジアにおいて米国と緩やかな関係を保ちつつ、一定の距離を常に置く国であることが中国の利益にかなうと思っていたようだ。

 それが本心ならば、この間に幾度もあった千載一遇の機会を、北京はみすみす逸してきたと言える。例えばかつてソ連を共通の敵として米中が事実上の同盟関係にあった時代なら、中国はイラクに本格派兵していなかったとは限らない。

 しかも中国軍を米軍指揮下へ編入し、危険な地域を担当させさえすれば、世界中の茶の間へ、連日連夜、中国軍犠牲者の数が伝えられたことだろう。

 かたや日本の自衛隊はオランダや豪州軍の庇護下にあって一滴とて血を流すまいとしていたのだから、日米同盟を一瞬のうちに空洞化するにはこれほどの良策はなかった。国内問題にかまけざるを得ない共産党現指導部にはそこまでの戦略眼がもてなかったようだが、逆に言うと過去3年強、日本が矢継ぎ早に進めてきた対米同盟強化策は、常に薄氷を踏む道筋だったと見ることができる。

(谷口 智彦)