公務員の国籍条項問題(その2)
考察を書こうとしていたが、日が変わったのでこちらに。*1
東京都が多国籍企業だったら
良かったのにとは思う。東京都が多国籍企業なら国籍条項なんか初めから無かったろう。また、そうであれば力ずくのリストラや、業務の大胆なアウトソースなど、組織の効率化が進むかもしれない。でも、利益が見込めなければ撤退と言うこともありえるが^^;
でも、事実は東京都は多国籍企業では無く、日本の中、それも東京都だけに存在する組織だ。^^;
では違いは何か?
まず一つは組織の所有者(株主)が違う。多国籍企業の所有者は株主であり、株主は基本的に多国籍に散らばる。一方、東京都の所有者は、即ち東京都民自身といえる。組織のリーダー(都知事)は都民が投票で選ぶ。
後一つの違いはサービスを受ける顧客だ。多国籍企業の顧客はその企業が展開している先々の様々な国に渡る。一方、東京都のサービスを受ける顧客は、これも所有者と同様ほぼ100%東京都民だ。
組織は、所有者と顧客が望む行動を取る事が望ましい。
だから、多国籍企業に国籍条項が無いのは当然だし、一方で東京都が管理職の登用に国籍条項を設けても、それが都民の要求に即していれば問題たり得ず、必然となる。
東京都民が外国人の管理職を認めたければ、そうすれば良いし、それを快適と思わなければ採用しなければ良い。
誰の利益を考えて闘ったのか?
今回の裁判で、彼女は誰の利益を考えて闘ったのか?
93年に主任となり、上司は当然のように管理職試験の受験を勧めた。しかし、94年に提出した受験申込書には「あなたは受けられない」の返事。「壁の前でたじろげば、後進の道がふさがる」。悩んだ末に選んだ裁判だった。
最高裁は期待に応えてくれなかった。「司法に任せてはいけない。私たちが先頭に立たないと」。鄭さんは決意を新たにした。
と言う訴訟を選択した動機を語る言葉から、又敗訴の弁からは、少なくても直接的には日本人の為に闘った訳ではなさそうだ、という事が察せられる。
http://www.denizenship.net/kadaibetu/kadibetu_06.html
というサイトを見ても、日本の為という意識は残念ながら微塵も感じられない。自らの権利拡大という意識のみ。
埋めがたいギャップ
在日コリアンという言葉から導き出される問題意識は、日本人の抱くそれと、在日コリアン自身が抱くそれとには埋めがたいギャップがあるようだ。
日本人の抱く、在日コリアンという言葉から導かれる問題意識は、その存在自体を問題視する意識が強いのではないか?この意識は、今回の訴訟を受けてより強化されたかもしれない。
一方、在日コリアンの人の問題意識は、日本国内で日本人と同等の権利が得られていない事を問題とする。
先の、http://www.denizenship.net/で論じられている内容を見ると以下の権利がテーマになっているようだ。
- 地方参政権(市議会議員の選挙権・被選挙権、*無国籍者に対しても*)
- 国政参政権(被選挙権問題)
- 公務員就任権問題(都道府県の公安委員会、教育委員会の委員就任資格、全職種の撤廃、とくに消防職)
- 年金(国民年金、老齢年金、障害者年金)
鄭さんの運動も、軌を一にするものと思われる。地方参政権の付与も、公務員の管理職登用問題も所詮入り口でしかない事がよくわかる。しかし、要求が先鋭化すればするほど、日本人の問題意識も先鋭化する。
日本国籍を取得するのが嫌で、日本人ではないと考え、それでも尚日本に絡み付いてくるのは一体なんなんだ?
日本語しか話せない韓国籍の在日の方が、外国で犯罪に会ったらどの大使館に行くでしょう?韓国語は話せないのでたぶん、日本大使館に駆け込むでしょう。その国の日本大使館は助けてくれるでしょうか?
在日コリアンの方が海外で災害に遭遇されたら、どちらの大使館に駆け込むべきなのでしょう?
このホームページでは、日本大使館に駆け込む事が「是」と書かれているが、果たして本当に日本大使館の義務なんだろうか?
何らかの理由で拒否されたら、どう反応するのだろう?
当時会に結集したものは全員日本人という意識はなかった。
ここでは、帰化済みの(元)在日の方の話しらしいが、日本国籍の無い在日コリアンの方は、当然韓国大使館を頼られるのだろう。
でも、上記の在日コリアンの方の運動を眺めていると、「日本はけしからん!」となりそうだ。
これはある意味、在日コリアンの日本への冷戦じゃないか?