ナショナル・アイデンティティの対立

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050312
lovelovedogさんのサイトに詳しかったので。
しかし、琉球大の高島伸欣教授って人を、韓国人はどう考えるんだろうか?彼の国であれば、直ぐに首が飛ぶんだろうなぁ。
まぁ、それぞれの国にはナショナル・アイデンティティというものがあって、特に歴史観はその大事な構成要素だと思う。歴史教科書には、そうしたものが如実に現れるのだろう。
このナショナル・アイデンティティにもとずく対立を煽ってどうする、って気がする。
lovelovedogさんの言うとおり、

高嶋伸欣教授はその「白表紙本」を誰から、どのような経由で入手したのか、文科省はそのことについてまず調査してみたほうがいい

ですね。
しかし、この先生、やってる事と、言ってる事がメチャメチャじゃないか?

事前の宣伝活動であり不公平

って言っておきながら、

高嶋教授らは「研究者などから見せてほしいという要請があれば応じる」と公表を続ける意思を表明。

と、メディアにばら撒いてるんだからな。
要するに、扶桑社の教科書が特異な教科書であるとアピールするアジテーションな訳なんだけど、私的には、国と国の軋轢を利用するやり方は、気に入らない。

高嶋伸欣教授が、前の検定時にも同じようなことをやっていたらしい事を示すサイトがある、と言うことで、興味深いので以下に引用しておきます。

 復古主義を唱える人たちが作った中学校の「歴史」と「公民」の教科書を読んだ。琉球大学教育学部の高島伸欣教授が送ってきてくださった。検定前のいわゆる「白表紙本」と言われているものである。「自由主義史観」グループの人たちが執筆してサンケイグループが発行し、全国の学校現場での採択を目指しているそうだが、ぱらぱらと一読して「う、う〜ん」と思わず絶句してしまった。断片的にはどんな内容かはもちろん知っていたが、ここまで時代錯誤というか国家主義的というか全体主義的というか、戦前への回帰願望的な記述であふれ返っているとは、想像以上だったからだ。

 例えば「歴史」の教科書では、冒頭に掲げられた「歴史を学ぶとは」と題される文章にまずぶっ飛んでしまう。そこには「条件が変われば、人間の価値観も変わる」と明言したうえで、「歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることはやめよう」などと書かれている。つまり彼らによると、それぞれの時代の価値基準によって歴史はつくられてきたのだから、過去の戦争や抑圧や虐殺などの不正・不公平・暴挙を、検証したり反省したりするのはよくないと主張するのである。この教科書を作った人たちは、歴史を学ぶ中学生にそんなふうに呼びかけるのだった。そして人物コラムとして、日本武尊(やまとたけるのみこと)を2ページも使って紹介するばかりか、イザナギイザナミの2人の神様による日本誕生の神話物語を「日本の歴史」として大真面目に説明してみせるのである。天照大神神武天皇などの神話についても、4ページを割いて延々と解説するといった具合だ。物語と史実をごっちゃにしても平気なのだろうか…。う〜ん、頭がおかしくなりそうだ。

 「日の丸・君が代」の由来や意義についても、この教科書はわざわざ2ページを使って訴えかけているし、教育勅語は「近代日本人の人格の背骨ををなすもの」などと評価して全文掲載する念の入れようだ。朝鮮半島の植民地化は「合法的に行われた」と記述し、太平洋戦争は一貫して「大東亜戦争」と表現。戦争目的を「自存自衛とアジアを欧米の支配から解放すること」などとした日本政府の宣言を、そのまま引用して説明している。極め付けなのは、家族に手紙を残した特攻隊員を美化する「故郷の家族を守るため、日本のために犠牲になることをあえていとわなかったのである」という説明文だ。本当にこれで歴史の教科書なのだろうか。信じられない。そして「戦争には善悪はつけがたい。どちらかが正義でどちらかが不正という話ではない。アメリカ軍と戦わずして敗北することを、当時の日本人は選ばなかったのである」と締めくくるのだった。

 まあ、一事が万事すべてこんな調子だ。日本国憲法は「表向きはあくまで日本人が自主的に作成した形だ」などといって否定し、南京虐殺は事件として「疑問点が多い」と説明する。昭和天皇については「国民とともに歩まれた生涯」と題して、その「お人柄」をご丁寧にも2ページの人物コラムで最大級の敬語を使ってたたえている。これには空いた口がふさがらなかった。

 「公民」教科書も同じようなトーンで書かれている。「日の丸・君が代」や天皇憲法第9条、日本人拉致問題などの問題については、極めて政治色の強い意図的な記述が展開されていた。中でも住民投票問題については執筆者の嫌悪感が爆発していて、「国家全体の利益にかかわるものを、特定地域の住民の意思のみによって左右されるものではない」と断定。「マスコミや市民運動団体の考えに扇動されやすい」などと非難して、住民投票を完全に否定した記述になっている。そして「日の丸・君が代」では、サッカー選手だったラモスの言葉を引用するなど3ページも使って、国家意識の必要性を繰り返し強調するのだった。これじゃあ、特定政治団体の宣伝パンフレットだよなあ。まともな教科書とはとても思えない。

 ところが「歴史」も「公民」も、どちらの教科書も検定を通るのはまず間違いないそうだ。こんな教科書が学校現場で採択されるなんて、たちの悪い冗談だとしか思えないなあ。もしそうなったらこの国はどうなってしまうんだろう…。