3月

台湾総統選挙 陳水扁総統遊説中に銃撃 本省人v.s.外省人の構図

台湾らしさを愛する一日本人として、この選挙で示された台湾の皆さんの勇気ある意志に敬意を表したい。皆さんが選ばれた道が、

  • 自由を求める正しい方向だと信じます。
  • 正義を求める正しい方向だと信じます。
  • 民主主義を求める正しい方向だと信じます。

同じアジアの同胞として、皆さんとこれらの価値観を共有する事が出来る事に感謝するとともに、皆さんの今後の発展に、心からの声援を送らせていただきたいと思います。
一方で、陳水扁総統への銃撃を、選挙戦略の為の茶番劇と言うにはあまりに無理があります。

2004年03月20日(土) 台湾の陳水扁総統、遊説中に銃撃され負傷 副総統もけが  台湾総統選挙の投票を翌日に控えた19日、陳水扁(チェン・ショイピエン)総統(53)と呂秀蓮(リュイ・シウリエン)副総統(59)が南部の台南市で選挙活動中に銃撃され、2人とも負傷した。同日夜までに病院で治療を終え、中央選挙委員会は20日の投票は予定通り行うと発表した。犯人は捕まっておらず、事件の背景は不明だが、選挙結果にも何らかの影響を及ぼす可能性が強い。

選挙戦で、再選を目指す民主進歩党陳総統と呂副総統のペアは、野党統一候補の連戦(リエン・チャン)・国民党主席、宋楚瑜(ソン・チューユイ)・親民党主席のペアと激しい接戦を展開している。銃撃事件を受けて、与野党双方とも19日夜に台北など各地で開く予定だった大規模集会を中止した。

総統府の発表や台湾メディアの報道によると、陳総統は19日午後1時45分(日本時間同2時45分)ごろ、台南市内で呂副総統とともにオープンカーに乗って沿道の有権者たちに支持を訴えていた最中、何者かに腹部を撃たれた。

2人とも近くの病院に運ばれた。随行医師団によると、陳総統の下腹部の傷は長さ約11センチ、深さ、幅とも約2センチで、14針縫ったという。呂副総統は右ひざを負傷した。弾丸が陳総統の着衣の中から1発見つかり、事件現場の道路から薬莢(やっきょう)2個が見つかった。

民進党選挙本部はこの日夜、陳総統らの銃殺を予告する脅迫状が同日正午ごろに届いていたことを明らかにした。陳総統は飛行機で台北に戻り、午後11時、呂副総統とともに録画によるテレビ談話を発表。「私は大丈夫。安心してほしい」と訴えた。

事件後、行政院(内閣)は緊急会議を開き、総統職務の代行などを検討したが、陳総統の執務継続は可能と判断した。陳総統、呂副総統は見舞いに訪れた与党議員を通じ、全土の住民に平静を保つよう呼びかけた。

陳総統台南市を取り囲む台南県の出身。この地域は台湾人意識が強いことで知られ、民進党の支持が強い。呉淑珍夫人も同県で85年に政治テロとみられるひき逃げに遭い、後遺症で車いす生活となっている。

警政署(警察庁に相当)は台湾全土の警察署に対し、双方の陣営の選挙事務所や幹部への警備態勢を強化するよう指示、2万人の機動隊員を出動させた。中国軍の動きも警戒するため、国防部(国防省)は21日午前8時まで全軍に待機するよう指示した。

台湾総統と選挙〉 台湾総統は元首で、3軍の統帥権や行政院長(首相)の任命権を持つ。総統直接選挙は今回が3回目。94年の憲法改正で総統は住民の直接選挙で選ばれることになり、96年に初の総統選が実施された。96年は当時の国民党の李登輝(リー・トンホイ)氏が選ばれ初の民選総統に。前回00年は民進党陳水扁氏が勝利し、初の政権交代が実現した。

台湾は第2次大戦後、国民党政権の支配下となり、49年に中国共産党との内戦に敗れた蒋介石総統が台北入り。78年に長男蒋経国氏が総統を継ぎ、88年の蒋経国氏の死去後は、李登輝副総統が総統に就任した。

とか。
http://www.cnn.com/2004/WORLD/asiapcf/03/19/taiwan.chen/index.html