歴史教科書歪曲

韓国はまだ言う

 「正しい歴史教育のための議員の会」所属の与党ヨルリン・ウリ党の姜昌一(カン・チャンイル)議員、ハンナラ党の高鎭和(コ・ジンファ)議員、民主労働党の崔順永 (チェ・スンヨン)議員ら、与野党の議員79人は18日、「日本の歴史教科書歪曲中断」を求める決議案を国会に提出した。

 この議員たちは、決議案で「日本の歴史教科書歪曲は、韓日両国の善隣友好関係と新たなパートナーシップを大きく損なうだけでなく、日本の国際的孤立を招くことを厳重に警告する」と述べた。

 決議案はまた、「日本の文部省が82年に歴史教科書検定基準として発表した『国際理解と国際協力の観点から必要な配慮する』という原則を踏まえて、忠実に歴史教科書を検定せよ」と促した。

 また、「政府は外交通商部、教育人的資源部、文化観光部、国政広報処など、関係部処(日本の省庁に相当)が参加する常設高位対策機構を構成し、日本の歴史教科書歪曲に対し政府レベルで対応することを求める」と付け加えた。

 一方、同議員の会は来月1日の3・1節(1919年に起きた3・1独立運動記念日)を皮切りに日本の歴史歪曲事例の展示会、アジアの太平洋戦争被害国家から受け取った年代史の発表、韓日国会議員および社会団体の共同声明発表などを進める方針。

チョソン・ドットコム

本当に政府レベルで、又歴史学者同士で徹底的に話し合って欲しいものだ。正すべきは寧ろ韓国である。

ちゃんとした意見もある

韓国内にも妥当な意見を言う人は、当然居るようで。

歴史教科書検定問題について日本の 新しい歴史教科書を作る会 の幹事のひとりがこんなことを言ったという。

「韓国の奴ら、中国の奴らが我々に対して何か言う資格があるのか? 彼らは教科書を国家で作ったそうじゃないか。そんなに歴史に関心があるなら、他人の教科書に関心を持つんじゃなくて、自分たちのを調べろよ、糞っ。」
当然、この言葉は韓国と中国の国定教科書を念頭に置いて言ったことだ。 私も分かっている。読者諸氏よ。尻毛が逆立つほどの怒りを感じているだろう。だからと言って、興奮してこの人に噛み付くべきじゃない。この言葉は一言で言えば 100% 正しい言葉だ。知っての通り、100% 正しい意見には絶対に口答えしないほうが身のためだ。この一言は、当然、韓国政府と中国政府が日本文部省の教科書検定を前にしてかなり不満を表してきた末に日本側から出てきた言葉だ。一言で言って、「お前ら自分の世話でもしてろ、この野郎」 ということだ。

読者の皆様に非常に感謝します。筆者はこれまでに個人メールボックスが炸裂するほど多くのメールを受け取りました。反応も様々でした。

遠くアメリカからアメリカの名前(Johnnyだったと思う)で、しかも英語で、「お前の糞穴(ass)に気を付けろ。俺はお前の日本語式 E-mail アドレスが気に入らない」と応援のメッセージを送ってくださった方がいらっしゃいました。国定教科書による徹底した反日教育がどれくらいよく叩き込まれたのかを見せてくれる生きた標本です。英語名「ジョニー」は変ではなくて、日本語名「クルマ」(クルマは我が国でも使う単語じゃなかったか?)は変だと思うのは、どの国の国民の哲学的思考法なのか分かりません。

もう一人の方はメールアドレスも公開しないまま「お前の額に斧を打ち込んでやる」とメールを送ってくださいました。これもありがたい応援のメールです。「日本」という話題の前では暴力と非理性が許されると考える驚くべき発想を自ら体現してくださって、そのうえ名前もないこの方のおかげで私の考えがより一層強固になりました。

我が国の国史(下)では関東大地震の時の朝鮮人虐殺をこのように説明する。

1923年、日本の関東地方で発生した地震で人命と財産上に大きな被害を被り、日本内の民心が乱れて慌しくなった。この時、日本の当局は「朝鮮人が暴動を起こし、日本人を殺している。」というデマを撒き散らし、社会不安の原因を韓国人のせいにした。これによって、在日同胞6000人余りが日本人に虐殺される大惨事が発生した。 [国史(下)p.170]

実際、朝鮮人虐殺の真相はまだ明らかになっていないが、朝鮮人虐殺事件が発生した本当の理由は、日本政府が、大地震で混乱した社会雰囲気の隙を突いてプロレタリア革命を起こそうとした社会主義者を、一斉に掃討するために繰り広げた自作劇であったという説が最も説得力を持っている。社会主義者たちが放火とテロ、そして組織的なサボタージュ活動を開始すると、彼らを 不良鮮人(不良な朝鮮人) だと追い立てて、いっぺんに一網打尽しようとしたのだ。そのような渦中で、日本帝国主義者たちに煽動された一部の自警団が社会主義者、反政府人士たちを虐殺するが、おまけに朝鮮人まで片っ端から殺害した不幸な事件だ。結局、 日本の社会主義者たちと日本領朝鮮の民衆の運命は、ある程度同一線上にあった と言っても過言ではない。しかし、我が国の国史(下)はこのような社会主義者たちの話はただ1行の文章でも、いやただ一つの修飾語句でも借用していない。どんな理由だろうか?

ここまで来れば 3.1運動の真正な真実が何なのか心配する読者諸氏がそろそろ一人二人ずつ生じ始めただろうと思う。だとすれば、これからは日本と日本領朝鮮を一つの巨大な水の流れと見て、その中で3.1運動の真の位置づけを一度やってみよう。ここからが筆者なりの歴史記述だ。