林思雲氏

ちょっとネットをうろついていたら氏の文章を眼にし、その説得力に引き込まれてしまった。
私は、氏のように中国語が出来るわけでもないし、中国のカルチャーを理解している訳ではない。その意味で、羨ましいと思うばかりである。

アイリス・チャン(Iris Chang/張純如)女史の著した"The Rape of Nanking"は、ベストセラーとなってはげしい“争論”を引き起こした。張女史はつい最近不幸にも死去したが、そのことでふたたびこの書籍をめぐる議論が交わされることになった。

 この小文では同書に対する個人的な意見を数点しるしてみたい。

 まず最初にチャンの言語に関してである。南京大虐殺は中国と日本の間に発生した事件であるから、南京大虐殺を研究しようとすれば中国語と日本語両言語に通じていなければならないことは、言うまでもない。でなければ第一次史料や関係資料が読めないからだ。ところがチャン女史は日本語を知らない。それどころか中国語も出来ない。中国語を読めないので他人に翻訳してもらわなければならなかった。日本語も中国語も理解しない外国人が、中国語や日本語で書かれた原資料や関係文書を読めないにも関わらず中国と日本の間の“歴史の真相”を明らかにする著書を書こうという、それだけで危惧を抱かせるに十分である。

 さらに気になるのは、チャン女史が当然行うべき現地調査を行っていないことだ。女史は"The Rape of Nanking"を書くにあたって、1995年7月に南京を25日間取材のために訪れた。しかし日本へは行っていない。歴史の真相を明らかにする書を書くのに、中国での取材がたったの25日だけとは短すぎるのではないだろうか。それはまだよいとしても、日本で現地調査をしていないというのは、歴史に対する責任という点から見れば、真面目さを疑われても当然だろう。

 日本では敗戦後、おびただしい文書が公開された。南京大虐殺関連の人証や物証は、さがせば出てくるはずである。チャン女史が日本に来て探索すれば少なからぬ収穫があったはずだ。「日本の右翼が南京大虐殺の調査を妨害したのだ」という人がいるが、それならなおのこと、女史は日本へ行くべきだったろう。日本の右翼がどのように調査を妨害するか、自分の身で親しく体験して著書に書き入れるべきだったのだ。そうすれば説得力もいっそう増したはずである。

 そして、日本を訪れて現地調査を行わなかった、まさにそのために、女史はこの著書の日本に関する記述で初歩的な間違いを犯してしまっているのである。“学者”と名がつく者なら犯してはならない種類の間違いである。

 同書の「序言」のなかから、現代日本に関する言及をいくつか取り上げて検討してみる。

私は、残念ながら南京大虐殺の事を論ずるだけの知識もないし、チャン女史の本も読んでいない。
だから、あまり今ここで適切な事を記すことは出来ないが、林思雲氏の投稿文が、論理立てて書かれた、正しい内容のものであろうと感じる事は出来る。